栃木県 益子焼
栃木県 萩原窯
鶴屋オンラインストアトップ > Made In Japanの贈り物トップ > 栃木県 萩原窯

全長10メートル以上にもなる、土の塊。益子焼の伝統的な登り窯の姿は、どこか有機物を思わせる。 その窯を使って、三日三晩かけ、職人が火をくべ焼き続けるのが伝統的な益子焼の製法だ。 窯の傍らにある工房で、一人黙々と手を動かす萩原芳規典さんは、この萩原製陶所の五代目。 伝統的な益子焼の製法に則りながら、釉薬の可能性に魅了されて新しい表現を追求する萩原さんの作品は、 国内のみならず海外でも評価が高く、ボストンでも個展を開くなど、国外に「MASHIKOYAKI」の ファンを着実に増やしている。「海外では、このような"土の塊"感のある器は珍しいみたいですね。 それに、益子焼の、"柿釉"は深みのある不思議な色合いなので、その佇まいを珍しがって 気に入ってくれる方が多いようです。益子焼は決して派手なところはありませんが、 地味ななかにも独特な味わいを感じられますよね」(萩原さん)。 「柿釉」、「並白」、「糖白」、「黒釉」、「泥並」、「飴」、「灰釉」という七色が、 益子七釉と呼ばれる伝統的な釉薬だ。

ご購入はこちらから

地元の「芦沼石」を砕いたものだけでできている「柿釉」や、寺山白土、大谷津砂など、 栃木県産出の原料を利用して作られた透明軸の「並白」がその基礎色。 益子焼の益子焼らしさを作っている色とも言える。 元々益子の釉薬は、「赤粉」と呼ばれて、防水機能に役立つことで知られていて、 屋根瓦や水瓶などに使われていたそうだ。そのことからもわかるように、 頑丈なことも益子焼の長所であると言える。「柿釉はとても益子焼らしい色なので好きですね。 焼き方によって出る色や模様も変わるので、自分の作品では、釉薬のかけ方を変えてみたり、 何度も焼いてみたり、色々挑戦しています」そう萩原さんの言う通り、 工房の至るところに製作途中の作品が置いてあり、そのどれもひとつひとつ釉薬の出方が違い、 ひとつの器の中にはまるで小さな宇宙があるようにも見える。 江戸時代、大塚啓三郎という人物が農業の傍らに窯を開いたのが益子焼の始まりだ。 殖産事業の一つとして黒羽藩から援助を受け、日本全国の食卓で日用品として広く使われるようになった。 しかし時代は移り変わり、衰退の影が忍び寄ったちょうどその頃、柳宗悦と一緒に民芸運動を 発起した濱田庄司が益子の地に移り住んだのである。民芸運動で唱えられた「用の美」は、 それまで美術品として評価されることのなかった民衆の日用品の中に息づく美しさを表す言葉。 「用の美」という精神と共に、益子焼は世界へと広まった。 「正直、益子の土は目が粗くて使いづらい。でもやはり益子の土には、益子の釉薬が合うし、 益子の登り窯が合うんですよ。私は焼き物が好きで、14歳のときからこれしかやってこなかったんです。」 そう笑いながら、するするとろくろを使って器を形作っていく萩原さん。土や釉薬の性質上、 ぼってりと厚くなる益子焼。生き物のような登り窯でじっくりと焼き上げられる。 職人が手をかけた証のようなその厚みが、使う人に手の温もりや土の力強さを感じさせる。 食卓に並べたら、隣の日用品にも改めて目を向けてみよう。 益子焼の器ひとつがきっかけで、暮らしが少し豊かになるだろう。

ご購入はこちらから
Made In Japanの贈り物トップに戻る