Vol.2
不動岩果樹園
究極の味を目指して全力投球。「ミカンの神様」の向上心を継承
「ミカンづくりの神様」と称され、全国の果樹農家から一目置かれる人物がいます。その人の名は、立山誠一さん。熊本県北・山鹿市にあるみかん農園『不動岩果樹園』の創業者で、50年以上にわたって酸味と糖度のバランスが取れた味を追究。その卓越した栽培技術による高品質なみかんは首都圏でも高く評価され、鶴屋では20年以上前から同果樹園が手掛ける柑橘を取り扱ってきました。今回、鶴屋では2025年のお歳暮ギフトとして同果樹園オリジナルの「蜜柑 ちなつ」を限定販売。唯一無二といわれるおいしさの秘密を探るべく、現地を訪ねました。
全国に類を見ない縦列栽培と水はけの工夫
山鹿市街地から車で走ること20分あまり。標高389メートルに悠然とそびえ立つ「不動岩」の麓に『不動岩果樹園』のミカン畑が広がっています。
出迎えてくださったのは、『不動岩果樹園』創業者・立山さんと、2代目代表の松本雄一さん。どちらも温和な物腰で祖父と孫のようにも見えますが血縁関係はなく、れっきとした師弟関係にあります。
そんなおふたりに案内してもらったミカン畑は1町5反、東京ドーム1.5個分ほどの広さ。そこには横列の果樹畑がある一方で、全く異なる区画がありました。山の傾斜に沿って縦列に植えられた果樹と、列の間にはコンクリートの通路が設けられており、一般的なみかん畑とは明らかに異なる景色が広がっていました。
約12年前、80歳を超えた立山さんは横列栽培を一新。樹木をすべて伐採して更地にしたあと、新たな畑と通路を縦並びに新設しました。そもそも果樹を根本から植え替える「改植(かいしょく)」を行うと2、3年は実がならず、その間の収入が途絶えてしまうため、このような設備投資を行うミカン農家は数少ないといいます。立山さんの場合、その改植に加えて植える配列まで変えてしまうという、大胆な試み。
完成まで2年もの期間や相当の費用を費やしたものの、縦列栽培にしたおかげで通路に重機が通れるようになり、また栽培管理や収穫作業も負担が減って省力化。日当たりや風通りも良くなり、雨が降れば水が緩やかに斜面を伝って均等に根を潤すため、水はけと糖度のバランスも最適化されます。さらに、樹姿を人の背丈以下に抑える独自管理、魚粉や堆肥を用いた有機的な土づくりにより、唯一無二の甘みを実現させました。
こうして縦列栽培を始めて10年以上経った今、形も大きさも安定したおいしいミカンが収穫できるようになり、「おかげで非常に糖度も上がりました」と軽やかに笑う立山さん。「甘くて上質なミカンを作りたい」とのまっすぐな思いを生涯貫いてきた姿勢には頭が下がります。今回、鶴屋のお歳暮ギフトとして提供される「蜜柑 ちなつ」も、この畑ですくすくと成長しています。
若き後継者が守り、追求する理想の味
立山さんが引退して2年あまり。その偉業を受け継ぎ、2代目として取り組んでいるのが、松本さんです。
松本さんは、かつて祖父が作っていたおいしいミカンを作りたいと熊本県農業大学校に2年間通った後、佐賀大学農学部へ編入。農作物に関する知識を学びました。ミカン農家として独立する前に修業したいと門を叩いたのが、ミカンづくりのカリスマとして一目置かれる『不動岩果樹園』の立山さんです。
当時、立山さんは後継者候補として2名を雇用したばかりで松本さんの申し出を断りましたが、「給料はいらないから働かせてほしい」と一歩も引かない松本さんの熱意に打たれて、弟子入りを承諾。それから5年の月日が経ち、90歳を超えた立山さんが引退を機に後継者として選んだのは松本さんでした。
こうして令和6年、松本さんは27歳のときにミカン農園を譲り受け、立山さんとの共同代表として代表取締役に就任。日々畑に立って樹木の芽の伸び方や果実の成長具合を見定め、高糖度な果実が育つよう管理を行っています。
「まだ成長途中ですが、食べてみますか?」
と松本さんからもぎ取ったもらったミカンは、外皮がまだ青々としていたものの、果肉はみずみずしく色づいています。
小さなひと房を口にすると、驚くほど濃厚。シャープな酸味と確かな甘み、爽やかな香りが広がり、心地いい余韻がいつまでも口の中を満たしています。今でも十分、完成された味と思えましたが、収穫期には一層甘さが増し、さらに2週間ほど貯蔵して追熟することで、酸味が和らぎ深みのある味わいに仕上がるとのことでした。
松本さんは安定して高糖度のミカンを出荷するため、糖度計で糖度を測定。一般的なミカンの糖度は11度程度ですが、『不動岩果樹園』ではより高い糖度を合格ラインとして、高品質なものだけを厳選しています。
不毛の地から全国区のブランドへ
もともと不動岩の麓は、温かい海風など届かず冬季の気温がマイナス5度以上まで下がる標高地。地面は岩だらけでミカン栽培には不向きな土地でした。
それでも立山さんは、ここに保有していた雑木林を奥さんとともに農地へと作り変え、昭和43年にミカン農園をスタート。しかし、まともなミカンは生産できず、開園から10年以上経った頃、ようやく満足のいくミカンが生産できるようになったといいます。
ところが、当時から「河内ブランド」が熊本におけるミカンの一大産地として知られ、どれだけ品質の良いミカンを作っても低価格でしか取引してもらえない。味よりブランドでしか評価されない現実を前に、悔しい思いをしました。
それでも立山さんは諦めることなく、新品種への切り替えや販路拡大に挑戦。はるばる東京へ出向いて果物を扱うバイヤーたちに極早生品種を食べてもらったところ、彼らはしばらく沈黙したあと「これは極早生ミカンの味じゃない、旬に食べられる味だ」と絶賛。
「山鹿であろうと、納得させられる味が出来ればやっていけるんだ」と自信を持つきっかけとなり、その後は東京市場で高値に。高級フルーツ店や百貨店との取引も開始され、高品質ミカンのブランドとしての地位を築き上げたのです。
継承の重みと未来への挑戦
「息子や娘には苦労させたくない」と、我が子らには異なる道を歩ませた立山さん。莫大な投資と天候リスクを伴う農業は、安定した道ではないからです。それでも挑戦を続けるために二人の後継候補を雇用し、そこに強い情熱を持って飛び込んできたのが松本さんでした。
「無給でも構わない」という松本さんの覚悟に心を動かされた立山さんは、5年間かけてじっくりと技を伝授。後継者として指名したあとには経理を任せ、10年後まで見据えて経営計画を立てるよう指導。「サラリーマンの年収の2倍を目指せ」と厳しく育てました。
熊本のミカン農家が最盛期と比べて5分の1にまで減少している今、安定した収益モデルを築けなければ継続は難しい。だからこそ、立山さんにしてみれば、目の届くうちに知識や経験を惜しみなく伝えたいという思いがありました。松本さんは、そうした師匠の思いに応えるべく課題に挑み、就任2年目にして早くも成果を上げつつあります。
「毎日が一年生」の精神をこれからも
『不動岩果樹園』には毎年、全国から100人以上の農業関係者が視察に訪れます。立山さんは引退した今も長年磨いた技術を惜しみなく公開し、業界全体に影響を与えています。そして松本さんの相談役として成長を見守り、二人三脚で未来を紡いでいます。
「ミカンの神様」といわれる立山さんの後継者として全国から注目される松本さん。その重責は計り知れませんが「師匠の味をしっかりと守り継いでいきます」と力強く語ってくださいました。
これまでのやり方を継承しつつ、近年は気候変動への対応として、日焼け防止のための養生や資材散布など新しい取り組みにも挑戦。「多少の投資がかかっても、本当においしいものを届けたい」と語るその姿は、かつての立山さんのように真摯で実直です。
「気持ちはいつも一年生」。立山さんの言葉を胸に、松本さんは今日も畑に立ち続けます。師から受け継いだ志と、土地に根付いた努力。その結晶となる「蜜柑 ちなつ」を、2025年度の鶴屋お歳暮ギフトとして皆さまのもとへお届けします。